金井良太『脳に刻まれたモラルの起源』岩波科学ライブラリー
脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか (岩波科学ライブラリー)
- 作者: 金井良太
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2013/06/06
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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著者は1977年生れで脳科学の研究者.この本は2013年に発行されている.[Philosophy for Everyone] の(メタ)倫理学を読んだ頃に,書店でこの本を見つけて,脳科学からみた倫理はどうなのだろうと思って早速に購入した.いくつかメモ.
第2章より.社会心理学者の Jonathan Haidt は,倫理基盤として次の 5 つをあげている:(1) 傷つけないこと,(2) 公平性,(3) 内集団への忠誠,(4) 権威への敬意,(5) 神聖さ・純粋さ.(1)(2) は「個人への尊厳」,(3)(4)(5) は「義務などへの拘束」とまとめられる.個人が(1)--(5) それぞれの重要視度やバランスなどは,心理テストで測定できる.一方で,著者らは,脳の MRI 画像を解析して,心理テストの結果と比較し,「個人への尊厳」を守る倫理観の強さ,「義務などへの拘束」の重要視が,それぞれ,脳の特定の部位の大きさと相関していることを見出した.
第3章より.(明示して書かれていないので,誤解しているかもしれないが)アメリカ政治の保守とリベラルは,ニューヨーク大学の John Jost の理論によれば,
- 保守は「伝統的文化を維持する立場」かつ「社会における不平等を容認する立場(実力主義を推進する立場)」であり,不確かさを忌避する傾向があり,恐怖に敏感である.
- リベラルは「社会における変化を推進する立場」かつ「社会における不平等を許さない立場」であり,社会の不確かさや生存を脅かす恐怖をあまり感じない.
と分類されるそうだ.著者らは,イギリスの学生に対して,心理テストと脳の MRI 画像の解析を比較し,リベラルな傾向と保守的な傾向がそれぞれ,脳の特定の部位の大きさと相関していることを見出した.
第4章より.オキシトシンは,信頼を高めるホルモンである.「内集団への忠誠」を高めるような効果をもつ.
以下に感想を.
第3章では,さらっと「社会における不平等を容認する立場(実力主義を推進する立場)」と書いてあるけど,これらの立場は同じなのだろうか.不平等を容認する立場は,昔なら貴族制度や奴隷制度を認める立場であり,一方で実力主義にはメリトクラシーも入ると思う.両者はかなり違う立場ではないだろうか. 例えば,アメリカの大学のレガシー制度についての質問:
と尋ねたら,不平等を容認する立場の人は yes と答えるが,実力主義を推進する立場の人は no と答えるのではないだろうか.原論文を読めば正確なことが分かるのだろうけど,それをする時間はなさそうだし,3章はいろいろと誤解して読んでいるかもしれない.(アメリカの共和党および民主党支持者の倫理的傾向から作られた(と思う) Jost の理論をイギリスの学生を対象に使うことと,アメリカとイギリスの文化的差異の関係なども気になった.)
また,第3章では,保守的な人の方が,リベラルな人よりも,「自分が幸せだ感じている」という割合が多いという話題がとりあげられている.これについては,2015年になって,自己申告ではそうだけど,本当はそうでもないという論文が『サイエンス』誌にでていますね.
Conservatives report, but liberals display, greater happiness.
Wojcik SP, Hovasapian A, Graham J, Motyl M, Ditto PH.
Science. 2015 Mar 13;347(6227):1243-6. doi: 10.1126/science.1260817.
Matthew Chirisman 他『Philosophy for Everyone』Routledge
- 作者: Matthew Chrisman,Duncan Pritchard,Jane Suilin Lavelle,Michela Massimi,Alasdair Richmond,Dave Ward
- 出版社/メーカー: Routledge
- 発売日: 2013/09/04
- メディア: ペーパーバック
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MOOCS でこの本と同じ内容のものをしていて,そっちも見た.とりあえず,この本の中から 4 つの章のまとめをしたい:2章;認識論,3章;心の哲学,4章;(メタ)倫理学,6章;科学哲学(科学の目的).
第2章:認識論
知識についての理論を認識論(epistemology)という.
知識には,いくつかの種類がある.命題的な知識(propositional knowledge)と,能力的な知識(ablility knowledge)など.ここで,命題とは,「地球は丸い」,「東京は日本の首都である」,「1たす1は2である」など,「何かが何かである」という主張である.命題的な知識とは,命題を知っていることをいう.能力的な知識とは,泳ぎ方を知っている,自転車の乗り方を知っているなどノウハウ(know-how)に関するものである.以下では,命題的な知識を扱う.
S さんが命題 p を知っているには,次の2つの条件が必要である(と多くの人が合意している).(i) p は真である.そして,(ii) S さんは p を信じている(つまり,p が真であると思っている).
古典的な知識論(classical account of knowledge)では,S さんが命題 p を知っているとは,(i)(ii)に加えて(iii) S さんが p を真であると信じる正当化された(justified)理由があることが必要十分条件であると考えられていた.
例:命題 p を「琵琶湖の面積は滋賀県の面積の 1/4 より小さい」としよう.このとき,S さんは p を知っているといったとき,S さんは,(i) p は真であって (ii) p を信じていることが必要である.しかし,これだけでは十分ではない.例えば,S さんが p を信じた理由がコインを投げて表が出たからという偶然では駄目で,例えば,S さんがいろいろと調べて注意深く検討した結果で信じるということが必要だろう((iii)に当たる).
古典的な知識論の(i)(ii)(iii)「正当化された真な信念」が命題的な知識の必要十分条件であるかに関して,Edmund Gettier (b. 1927) は,1963 年の非常に短い論文「Is Justified True Belief Knowledge?」で,そうではないことを示す強い議論を提出した.
止まった時計の例(Russell).命題 p を「いまは朝の 7 時である」としよう.(i) p は真であり,(ii) S さんは p を信じているとする.そして,(iii) S さんには,目覚まし時計が 7 時を指しているという,p を真であると信じる正当化された理由があるとする.このとき,古典的な知識論では,S さんが命題 p を知っているといえる.しかし,実際は,目覚まし時計は壊れていたとする.しかし,たまたま壊れたのが昨日の朝 7 時だったので,目覚まし時計が 7 時を指していたとする.このとき,p が真であったのは,偶然そうであったにすぎない.そうすると,S さんが命題 p を知っているとはいえないだろう.
羊の例(Chisholm).S さんは牧場に羊そっくりの動物を見たとする.それで,S さんは「牧場には羊がいる(命題 p)」と信じたととする.そして,命題 p は実際,正しい.というのも,牧場の丘の後ろの隠れたところに羊がいるからである.しかし,S さんがみた動物は羊に似た犬だったとする.このとき,S さんは「正当化された真な信念」を持っているが,p が真であったのは,偶然そうであったにすぎない.そうすると,S さんが命題 p を知っているとはいえないだろう.
Gettier の後,「S さんが命題 p を知っている」ことの必要十分条件を探す多くの試みがなされていた.しかし,(i)(ii)(iii) に付け加えるという方法で, 決定的なものはない.ただし,S さんと世界(world)との関わりに注目するとき,S さんと世界が関わっているのは (i) だけで,(ii)(iii) は関係ない.Gettier の議論は,「S さんが命題 p を知っている」に関して,S さんと世界(world)との関わりが古典的な知識論以上に必要であることを示している.
以下に Gettier の議論とその後についての良いまとめがある.
http://www.iep.utm.edu/gettier/
以下に感想を.
Gettier の議論は面白いと思うけど,「S さんが命題 p を知っている」ことの必要十分条件を与えることはそもそも可能なのかなぁ.「S さんが命題 p を知っている」ということを考える前提条件に,合理的な人間像が想定されている気がする.でも,実際には,記憶などはかなり騙されやすいものであるし.人間の行動はしばしば不合理ですよね.そうすると,合理的な(あるいは理想的な)人間にとって,「S さんが命題 p を知っている」ことの必要十分条件を与えられるかを考えて,その後で,理想化された人間像と実際の人間像の違いを考慮して,「S さんが命題 p を知っている」ことの実際の意味を与えていくというようになるのだろうか.
Gettier の議論には,たまたまというか偶然性の役割が入っていると思う.そうすると,合理的な人間像のもとでも,確率論を入れて考えるのがいいのだろうか.ベイズ的認識論も非常に進んでいるみたい.
第3章:心の哲学 (2014年2月13日に追加)
ルネ・デカルト(René Descartes, 1596-1650)は,精神(心)と物質(身体)は全く異なるものであるとする心身二元論(substance dualism, cartesian dualism)をとなえた.デカルトによれば,物質とは空間的延長をもつもの(res extensa)であり,心は非物質的なものからなる.
デカルトの心身二元論には,いくつかの問題が指摘されている.その一つは,因果に関わるもので,精神と身体が全く異なるならば,どうやって精神は身体と接触しうるのかという問題である.すでに1643年に,ドイツのファルツ選帝侯の王女エリーザベト(Princess Elisabeth of Bohemia)が,この疑問をデカルトへの書簡の中で投げかけた.デカルトは納得のいく解決を与えることはできなかった.
心身二元論の構図を克服する方法として,物理主義(Physicalism, Meterialism)がある.これは,心と身体はともに物理的なものからなるという物質一元論であり,心の哲学の現在の主流的な見方でもある. 物理主義は,さらに,(a) 同一説(Identity Theory)(b) 機能主義(Functrialism)(c) 論理的行動主義(Logical Behaviourism)などに分かれる.ここでは,(a), (b) についてもう少し見る.
(a) 同一説(Identity Theory)では,心的状態を物理状態と同一視する.哲学者がよく使う例で説明すると,「痛みはC線維(末梢神経)の発火と同一である」という見方である.心的状態を物理状態に還元しているので,同一説は還元主義(reductionism)でもある.
同一説は,token同一説と,type同一説に分かれる.token同一説では,ある日のある時間の心的状態は,そのときの物理状態と同一であるとする.一方で,type同一説では,心的状態のtypes(例えば幸福感)は物理現象のtypes(例えば,脳内のある化学反応)に還元できるとする.type同一説は,科学的に検証できる可能性がある(例えば,セロトニンが分泌されれば幸福感を感じるなど).
(b) ヒラリー・パトナム(Hilary Putmun)は,1967年にtype同一説に疑問を投げかけた.人においては.脳内のある化学反応が痛いという心的状態と同一としよう.しかし,例えば,タコ(あるいは異星人)も痛いという心的状態であることはありえると思われるが,その痛いという心的状態は,タコ(あるいは異星人)では別の化学反応からくるかもしれない.従って,ある心的状態に対応する物理状態は,いくつもの実現可能性(multiple realizability)が考えられる.
これから, 機能主義(Functrialism)に至る.機能主義は,心的状態を,それが何から構成されているかではなく,どういうことをしているかで同一視するべきであると主張する.心的状態を椅子に例えると,椅子が何から作られているかではなく,座るためのものであると見る.
心的状態はその機能で同一視すべきという機能主義の立場からは,心的状態を物理的に作り出せる可能性があることになる.それでは,心的状態をコンピュータで作り出すことはできるのだろうか.
アラン・チューリング(Alain Turing)は 1950 年に模倣ゲームを提案した.質問者は,隔離された部屋の人間 X とコンピューター Y に質問をする.X と Y はその質問に答える.もし,Y が質問者に人間であると思い込ませることができれば,コンピューターは(ある(弱い)意味で)知性をもっているといってもいいだろう.
最後に,機能主義への反論として(およびチューリングテストの不十分性を主張したものととして),ジョン・サール(John Searle)によるの思考実験としての中国語の部屋(1980年)を述べる.
あなたは、たくさんの本のある小部屋にいる.ただし,本にはあなたの知らない記号が羅列して書かれている.小部屋にはスロットがあり,そこに時折,紙が差し入れられる.その紙にもあなたの知らない記号が羅列して書かれているが,あなたは英語で書かれた手引書(code book)を持っていて,このパターンの紙が差し入れらたときは,どの本のどのページを見ればよいかが書いてある.そこで,あなたは本のあるページの記号を写しとり,スロットから差し出す.ここで,実は,あなたの知らない記号は中国語であり,スロットに入ってくる紙は中国語で書かれた質問で,あなたが差し出した紙は,中国語でその質問の答えが書かれているものであった.部屋の外から見れば,この小部屋には中国語を理解している人がいると思うだろう.しかし,あなたは中国語がわからず,作業の意味を全く理解せずに,ただ作業を繰り返しているにすぎない.
ここで,あなたをコンピュータに置き換える.何か(aboutness)についての意味を理解していないものは,心あるものとは考えられないのではないかということを,上の思考実験は主張している.言い換えれば,コンピューターが記号の統語(syntax)は扱えても,記号の意味(semantics)を理解していないのであれば,コンピューターは心あるものとは考えられないのではないかという疑問を投げかけている.
第4章:メタ倫理学 (2014年2月23日に追加)
道徳判断はどんな基準で行われるのか? ここでは,(1)客観説(objectivism),(2)相対説(relativism),(3)情緒説(emotivism)の3つに分けて説明する.
まず準備をする.「鉛は鉄よりも重い」や「いついつのどこどこの天気は晴れである」というような判断を経験判断(empirical judgement)という.一方,「一夫多妻制は道徳的に疑わしい」や「女子割礼は道徳的に間違っている」などの判断を道徳判断(moral judgement)という.次の問いを考える.
(a)道徳判断は真偽を問うことができるのか.それとも,道徳判断は話者の感情を表明しているだけなのか.
(b)道徳判断が真偽を問うことができるのなら,その根拠は何か.道徳判断が真ならば,それは客観的に真なのか.
客観説では,道徳判断は真偽を問うことができると考える.さらに,その真偽の根拠は,経験判断と同じように,話者や話者の属する集団とは独立であり,客観的な道徳事実であると考える.上の問いについては,(a)は yes であり,(b)は客観的に真であると考える.
相対説では,道徳判断は真偽を問うことができると考える.しかし,その真偽の根拠は,個人または個人の属する社会集団,あるいは時代や文化に依存すると考える.(「車は左側/右側を走る」という道路法と似ている.)個人ごとに異なるという見方を主観説(subjectivism),文化ごとに異なるという見方を文化相対説(cultural relativism)という.上の問いについては,(a)は yes であり,(b)は客観的な基準はないと考える.
情緒説では,道徳判断は話者の感情を表明しているだけであると考える.(「納豆は美味しい」という食べ物の好みと似ている.)上の問いについては,(a)は no であり,(b)は考えない.
それぞれの説に対して,いくつかの疑問を投げかけることができる.客観説に対しては,科学的な命題ならば,その真偽を確かめるための実験と検証という科学的手法があるが,道徳判断の客観性を科学のように確かめる手法はないように思われる.相対説に対しては,道徳の進歩(moral progress)を説明できないように思われる(例えば,奴隷制への見方の変化など).情緒説に対しては,道徳判断を感情だけでなく理性を用いることもあるように思われる.このような疑問に対して,さまざまな答え方があり,議論が深まっていく.
感想:道徳判断は,こういう一般論よりもむしろ,個別の判断(尊厳死,エネルギー問題など)について考えることで,一般論についてもよく分かるような気がする.
文化相対主義については,以前にどこかで読んだのだけど,国際機関に働いている人が,アフリカにおける女子割礼の習慣を文化相対主義と片付けていいのか,と疑問を投げかけていた.
あと,「それは見解の違いだね」という言い方をする人がいたら,その人は,相対説に立ってというよりは,単に議論がめんどうだから早く終わらせたいと思ってそう言っていることが多い気がする.随分前に,井上達夫『共生の作法―会話としての正義』という本を買った.ほとんど買っただけで,最初の方しか読めなかったけど,相対主義について反対していたように思う.
- 作者: 井上達夫
- 出版社/メーカー: 創文社
- 発売日: 1986/07
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松井彰彦『高校生からのゲーム理論』ちくまプリマー新書
- 作者: 松井彰彦
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半日あれば読める手軽な本.面白かった.ゲーム理論はあんまり出てきていない気もする.
例えば,5章の未来編では次のようなことが書かれている.A,B,C,Dの4人の子供がいて,Dだけが仲間はずれになっている状況を考える.このとき,Dと「遊ぶ」と自分が仲間はずれになるとA,B,Cが思っていると(実際にDと遊んだ子供が仲間外れになる必要はない),仲間はずれの状況は安定し持続する.このとき,「仲間はずれ」という状況を説明するために, 理由(「無口だから」「ださいから」など,D個人に帰着させるもの)が探し出される.しかし,このような理由は本当の原因ではない.本では,ヒュームの経験論にも触れられている.
この部分を読んで,ダンカン・ワッツ『偶然の科学』(早川書房) を思い出した.2000年3月にシスコ・システムズが時価総額5000億を超えたときは,ビズネス誌はCEOを大絶賛した.ところが2001年にシスコの株価が80ドルから14ドルの底値をつけると,先を争うようにシスコを褒めちぎっていたビジネス誌が,今度はその戦略や業務やリーダーシップをこきおろした.なお,シスコは同じCEOのもとで2007年末に株価は33ドル強をつけている.あとから見れば,その株価のすべての上昇と下落をうまくつながるような形で「説明」する記事は書ける.『偶然の科学』では,結果を知っていれば,後付けでもっともらしい理由らしきものはいくつでも見つけられるだろうが,それは本当の原因でなないということを,多くの例とともに強調していた.
『高校生からのゲーム理論』では,日本国債についても触れられていた.この場合(協調ゲーム)では,2つの安定状態があるという.一つは自分も他人も日本国債を買う(のが安心だと思っている)状態.この状態では国債を(長期利回りを低いまま)大量に発行することができる.もう一つは,自分も他人も日本国債を買わない状態.この状態では債務不履行に陥ってしまう.政府の場合,借金の限度額は物理的な問題より心理的な問題であるとも書かれている.
- 作者: ダンカン・ワッツ,Duncan J. Watts,青木創
- 出版社/メーカー: 早川書房
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Lawler and Coyle『Lectures on Contemporary Probablity』Student mathematical library, AMS, 1999.
Lectures on Contemporary Probability (Student Mathematical Library, V. 2)
- 作者: Gregory F. Lawler,Lester N. Coyle
- 出版社/メーカー: Amer Mathematical Society
- 発売日: 1999/09
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学部生に対して行われた,IAS/Park City 数学研究所の確率論のサマースクール(?)の講義をまとめた本.全部で,99ページと非常に薄い.[舟木]の前に,この本を読んでもよかったと思う.内容はとても面白い.後半の約1/4は,シミュレーションに充てられている.当然ながら,難しいところは,ヒューリスティックな説明やおはなしになっていて,証明まではのっていない.最近の確率論の雰囲気をつかむのに適した本なのかも.
第1章:1次元の単純ランダムウォークとスターリングの公式
上の単純ランダムウォークについて,nステップ後の距離の二乗の期待値はnであることや,再帰的であることなどが書かれている.また,スターリングの公式も(ほぼ)証明されている.
第2章:多次元の単純ランダムウォーク
上の単純ランダムウォークについて,2次元のときは再帰的だが,3次元以上では再帰的でないことが書かれている.さらに,二つのランダムウォークが交差するかどうかを考え,4次元以下では確率1で交差し,5次元以上では交差する確率は1未満であることが説明されている.また,nステップまでに交差する確率の漸近的な大きさについて,どんな予想があるかが書かれている.
第3章:自己回避ウォーク
上の自己回避ウォーク(SAW)について,長さnのSAWの個数の漸近的な大きさなどが議論されている.分かっていないことが多いと書かれている.(全然理解していないのだが,2000年代に入って,シュラム,ヴェルナーをはじめとする人々によって,SAWなどについて非常に大きな進展があったらしい.)
第4章:ブラウン運動
1次元の単純ランダムウォークの極限として(時間を1/N, 距離を),ブラウン運動が得られることが説明されている.また,ブラウン運動の零点のbox次元が1/2であることが,ヒューリスティックに説明されている.
第5章:カードシャッフルとランダムな置換
N枚のカードに対して,カードを切るという操作はN枚のカードの置換群 の元を与えることと思える. iid の-値確率変数を与え,N枚のカードに作用させることで,N枚のカード上のマルコフ連鎖ができる.この章では,いくつかのカードシャッフルの仕方が書かれている.
第6章:7回シャッフルすれば十分(だいたい)
リッフル・シャッフルというカードの切り方を考えて,リッフル・シャッフルからN枚のカード上のマルコフ連鎖を作る.全変動ノルムで測って,N=52のときは,7回シャッフルするとかなり混ざることが説明されている.詳細については,Mann, How many times should you shuffle a deck of cards, in Snell (1995), 261--289 に委ねている.
第7章:有限集合上のマルコフ連鎖
有限集合上のマルコフ連鎖が定義され,既約で非周期的ならば,定常分布が存在することが証明されている.だいたい[舟木]の7.4節の内容にあたる.
第8章:マルコフ連鎖モンテカルロ法(MCMC)
マルコフ連鎖の定常分布を知るアルゴリズムとして,二つの例が挙げられている.一つの例は,0, 1からなるランダム行列(ただし, 1の隣りあう成分は0のみである行列)とイジングモデルとの関係がお話として説明されている.もう一つの例は自己回避ウォークに対する pivot algorithm が説明されている.(あまりよく分からなかった.)
第9章:ランダムウォークと電気回路
重み付き有限グラフ上のランダムウォークについて,電気回路と合わせて説明されている.調和関数やエネルギー,ディリクレ問題について簡単に書かれている.
第10章:一様全域木(uniform spanning trees)
連結単純グラフGに対して,Gの全域木を作るgroundskeepwer's algorithmとよばれる確率的なアルゴリズムが説明されている.さらに,このアルゴリズムによるマルコフ連鎖の定常分布が,Gの全域木の集合上の一様分布であることが説明されている.詳細については,Pemantle, Uniform spanning trees, in Snell (1995), 1--54 に委ねている.(あまりよく分からなかった.)
第11章:ランダムウォークのシミュレーション
主に,第1章と第2章の計算についてのシミュレーションが書かれている.
第12章:その他のシミュレーション
乱数生成器を用いて,正規分布の乱数を出すにはどうすればよいかが書かれている.また,第6章や第8章の計算についてのシミュレーションが書かれている.
第13章:数理ファイナンスにおけるシミュレーション
(読まなかった.)
舟木直久『確率論』朝倉書店
- 作者: 舟木直久
- 出版社/メーカー: 朝倉書店
- 発売日: 2004/11
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第1章から第5章までと(ただし,2.2.3の確率変数列の一様積分性はとばした),第7章の一部(第6章を使わないところ)を学んだ.2.2.3と第6章(マルチンゲール)と第7章の残りの部分は,また後で読みたいと思う.
第1章:確率論を学ぶにあたって
確率論で,有限個の事象の確率の加法性(有限加法性)だけでなく,可算無限個の事象の確率の加法性(σ加法性)が大切であることが,大数の強法則を例に説明されている.
第2章:確率論の基礎概念
確率空間,確率変数,分布関数,期待値,確率変数のさまざまな収束(概収束,p次平均収束,確率収束,法則収束)などが説明されている.
第3章:条件付き確率と独立性
独立性が説明されている.
第4章:大数の法則
大数の法則(弱法則,強法則)が説明されている.弱法則は,X_nは組みごとに独立で,X_nの分散が一様に有界という仮定のもとに示されている.強法則は,X_nがiidで,期待値が可積分の仮定のもとに示されている(他のversionも書かれている).
第5章:中心極限定理と少数の法則
確率測度の特性関数が導入され,確率測度の弱収束と特性関数の各点収束(原点での連続性もつけて)が同値であることが示されている.特性関数を用いて,中心極限定理がiidの場合に示されている.ポアソンの少数の法則も示されている.
第6章:マルチンゲール
マルチンゲールについて書かれているが,読んでいない.(また後で読みたい.)
第7章:マルコフ過程
マルコフ過程について書かれている.離散マルコフ連鎖について,不変分布とエルゴード性,大数の弱法則,正方格子上のランダムウォークの再帰性などが書かれている.また,ブラウン運動とポアソン過程について簡単に触れられている.(ブラウン運動とポアソン過程はざっと目を通しただけになってしまった.また後で時間をかけて読みたい.)